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2018年1月31日 (水)

神来貴船神社(菊池市)

熊本県菊池市にある地名“神来”は“おとど”と読みます。この小さな集落に神来貴船神社があります。由緒書によれば延久2(1070)菊池則隆公がこの地へ無事に着いたことへの報賽 のため京都から勧請したとされ、高龗神(タカオカミノカミ)という水をつかさどる神が祭られています。

画像1.鳥居から拝殿を見る。

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境内の一角には船着場の跡があり、現在は神社の西100mを流れている迫間川の川幅が嘗てはここまで及んでいたことがうかがえます。この船着場の案内板には、千数百年前に菊池川を遡って、第12代景行天皇の一行が上陸されたところと伝えられているとあります。ということは貴船神社が造られる前から既に特別な扱いをされていた場所だったわけです。

 

画像2.貴船神社境内の舟つなぎ場跡。

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高龗神の他に境内にはこの地域の神社には必ずと言っていいほどみられる猿田彦大神、そして照大神(伊勢大神宮)が祭られています。

 

画像3.猿田彦大神。どこでも雨ざらしですが存在感があります。

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画像4.天照大神。

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ところでこの神来地区には“昔、高貴な人が船で神来に来て住み着いた。”という伝説があるそうです。景行天皇も古いのですが、住み着いたとなると違う人物でしょう。この“高貴な人”に関しての資料の一つに“松野連系図”というものがあります。その系図から孝昭天皇3年(紀元前473年)に呉王の子“慶父忌”がこの地域に渡来したという説を唱える研究者もいます。

 

画像5.松野連系図(国立国会図書館所蔵)

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画像6.貴船神社境内に置かれた古墳の石材(?)

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紀元前500年頃というのは日本に稲作が広まり始めた時代でもありました。この神来近くの台(うてな)台地から出た弥生土器についていた籾痕を鑑定した結果、揚子江流域が原産地であるジャポニカ種であることがわかりました。

 

縄文時代の終わり頃まで菊鹿盆地の標高45mライン位まではまだ“茂賀ノ浦”と呼ばれる湖で、弥生時代の終りの3世紀頃までには湖は標高30m辺りまで後退し、稲作に適した湿地が次第に拡大していったといわれています。画像7の標高地図にあるように、起源が古いとされる神社は標高50m辺りにあり、稲作が伝わった時期にそれに関わった人々の拠点となっていた場所ではないかと考えられ、神来貴船神社もそのライン上にあります。

 

画像7.菊鹿盆地標高地図。

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神来に舟でやって来た“高貴な人”とは誰だったのか。日本に新天地を求め稲を携えて海を渡り、有明海からまだ川の形も定まらなかった菊池川、迫間川を遡り、神来に辿り着いた渡来人がいたことは間違いないことでしょう。弥生時代初め頃の大陸情勢を思えば、この地域に最初に稲作をもたらしたその人たちは呉王の子孫だったという話にも頷けるものがあります。








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